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2019年バックナンバー

雑記帳

桜島

 桜島は、大正期に大噴火してからも、絶えず噴火し続けています。
 
 令和元年7月28日には、桜島の噴火により、3800メートルまで噴上がる噴煙を出して、火山灰が、鹿児島市の市街地の商店の営業などに影響を及ぼしたそうです。 
 
 遠距離路線の飛行機が巡航する速度が1万メートルですから、その3分の1強の高さまで灰が噴き上がったことになります。
 
 私も、鹿児島に何度か行ったことがありますが、鹿児島の人は、案外火山灰を気にしません。
 
 自動車は半日分の灰で、結構つもっています。
 晴れていればましなのですが、雨が降っていると大変です。
 
 鹿児島の人は、あまり「土石流」は気にしていないようです。
 
 昭和49年6月17日に、土石流が発生し作業員2名が死亡し1名が行方不明となり、。昭和49年8月9日にも野尻川の砂防工事現場において土石流が発生し作業員とその家族を含め5名が死亡しているそうです。
 
 火山といえば、ポンペイ遺跡を思いおこされる方も多いかも知れません。
 
ベスビオ火山と浅間山」をご覧下さい。
 
 日本にも似たような話があります。
 
 天明3年8月5日(1783年)、その春から噴火の予兆を見せていた浅間山が、大噴火を起こして噴出した土石流が、麓にあった鎌原村を襲いました。
 
 「浅間天明大規模噴火」 に詳しく記載されています。
 
 鎌原村(北軽井沢)の高台にあった観音堂に逃げることができた人だけを残して、118戸570人が暮らしていた村は、家も田畑もすべて埋め尽くされてしまいました。
 
  高台にあった観音堂に避難した人は93人。その人たちだけが、奇跡的に助かりました。
 
 「天明の生死を別けた十五段」、観音堂への階段を登りきった人は助かったが、登れなかった人は生埋めとなりました。
 
 何か、津波の話と似ています。
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