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2018年バックナンバー

雑記帳

韓国教科書の「酷使される朝鮮人」写真、実は被写体は日本人

NEWSポストセブン2018.11.24
 

---引用開始---

 

 現在も使われている(韓国の)高校の歴史教科書には、史実と異なる説明がされた写真が登場する。韓国人ジャーナリストの崔碩栄氏が解説する。

 

 「『酷使される朝鮮人』の写真はテレビなどでもたびたび紹介された有名な写真です。しかし昨年、映っているのは朝鮮人でなく、大正時代に北海道・旭川の道路建設現場で働く日本人労働者であったと産経新聞が報じました。存命である撮影者にインタビューするなどして真相を突き止めたのですが、産経の報道に対し、韓国内では一部の新聞が写真の間違いに言及したものの、その記事の内容は『日本の極右新聞がミスに乗じて攻撃』といったものでした」

 

 崔氏が知る限り、こうした写真について、韓国側が誤りを認めた上で、謝罪を口にしたことはないという。産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏はこう話す。

 

 「問題の根っこにあるのが、韓国の『日本が贖いきれないほどの加害行為を受けた被害者』という不変のメンタリティです。だから日本に対しては、『フェイク』を用いるなど、国際的な常識を逸脱したやり方も許されると考える共通理解のようなものがある。結果、日本に対しては謝罪を求め続ける一方で、『自ら謝ることはない』という独特の文化の二重構造が存在するのです」

 

---飲用終了---

 

 日本も貧しかったのですね。

 

 大正時代といえば、西暦で1912年~1925年に該当します。

 

 1910年の韓国併合以降、渡航する朝鮮人は急増し、内務省警保局統計によれば1920年に約3万人、1930年には約30万人の朝鮮系日本人が在留していたそうです。併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などにおける下層労働者で、単身者が多い出稼ぎの形態をとっていたとされています。

 

 1919年4月には朝鮮総督府警務総監令第三号「朝鮮人旅行取締ニ関スル件」により日本への移民が制限され、1925年10月にも渡航制限を実施しましたが、1928年には移民数が増加したとされています。

 

 ちなみに、日本の教科書も、足利尊氏とされている武者が、足利尊氏でないとされたり、聖徳太子の肖像が、後日、描かれたものであり聖徳太子の肖像画ではないとされたりしています。

 ただ、悪意はないでしょう。

 

 韓国の教科書は、嘘を平気で掲載するのですね。

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