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2018年バックナンバー

雑記帳

安倍首相「原告は徴用工ではなく旧朝鮮半島出身の労働者」

 安倍晋三首相は、平成30年4月1日、衆院予算委員会で、韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた平成30年10月30日の判決に関し、原告となった元工員4人について、「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」と指摘しました。

 

 そういえば、原告のうちの生存者であるイ・チュンシク氏が「昭和16年(1941年)春、17歳だったイ・チュンシクさん(94)は、新日本製鉄(現、新日鉄住金)釜石製鉄所で働いた」と記載されていましたから、不思議に思いました。

 

 「昭和19年9月、日本政府は国民徴用令による戦時徴用を朝鮮半島でも開始し、昭和20年3月までの7か月間実施された。昭和19年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かったともいわれる」(日韓歴史共同研究報告書、平成22年・日韓文化交流基金)とあります。

 

 国家総動員法に基づく朝鮮半島での戦時労働動員には、3つの形態があったそうです。
(1)昭和14年から昭和16年に民間企業が朝鮮に渡り、実施した「募集」
(2)昭和17年から昭和19年9月まで朝鮮総督府が各市・郡などに動員数を割り当て、行政の責任で民間企業に引き渡した「官斡旋」
(3)昭和14年制定の国民徴用令に基づき、昭和19年9月から昭和45年3月ごろまで発動した「徴用」
 いずれも、賃金は支払われていました。未払の分もあることにはありました。

 

  原告のうちの生存者であるイ・チュンシク氏は、民間企業が朝鮮に渡り、実施した「募集」に該当します。

 

 戦前の日本人でも、朝鮮半島の出身者は優遇されていたことになります。

 

 日本人(非台湾・非朝鮮)の方が損をしています。

 

 私の父は、昭和20年8月に、陸軍見習士官小隊長として信太山砲兵隊に赴任しています。アマチュアです。2週間足らずですから実戦はなかったようです。

 

 私の母は、どういう制度かは知りませんが、学校の勉強もできずに、戦闘機操縦士のパラシュートを縫っていた時期があったそうです。

 

 そんな時代のことを、今の基準で比較する意味はありません。

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