本文へ移動

2018年バックナンバー

雑記帳

阪神・淡路大震災から23年経過

 平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の発生から23年を迎えました。
 
 6434人の犠牲者の方々に、心からお悔やみ申し上げます。
 
 私は、当時、和歌山市に住んでいましたから、地震による被害は0です。和歌山市の震度は4でした。
 
 地震で、たたき起こされて、テレビをつけると、神戸あたりの震度だけ表示されておらず、他の地域も神戸付近を中心として震度が弱くなっていました。
 
 すぐに、神戸市北区に住む従姉妹に電話しました。
 
 家の中は滅茶苦茶になっているけれども、誰も怪我をしていないとのことで安心してほしいとのことでした。
 
 地震直後は、電話が通じていました。
 
 当日、大阪地裁の法廷に出かけました。
 
 京都に住む相手の弁護士も出廷していました。
 
 書記官から、事件どころではないといわれて帰りました。
 
 当時勤務弁護士をしていたのですが、北区の事務所は、本棚が散乱したくらいとのことでした。
 
 震災に関する法律相談は、しばらくおちついてから増えてきました。
 
 神戸地裁の事件は、1日かかりでした。
 電車、バス、徒歩、電車を乗り継ぐのは大変でした。しかも往復です。
 
 大震災を知らない世代が増えているのでしょうね。
 
 ちなみに、当時は村山内閣でした。
 
 自衛隊出動が遅れたのも、犠牲者を増やした原因でした。
 
 自衛隊は、兵庫県に伊丹、姫路、福知山の三個連隊がありますが、特に伊丹の陸上自衛隊の駐屯地は、被災地のすぐそばです。
 
 阪神淡路大震災が起こったのは朝の5時46分のことでした。自衛隊は6時30分には緊急勤務態勢にうつり、災害派遣を予想して出動準備にかかりました。
 
 しかし、災害派遣要請はなかなか出ませんでした。首相官邸は何もせず、兵庫県は規則に縛られて動きがとれなくなっていたからです。
 
 ようやく要請がでたのは午前10時のことで、伊丹、姫路、福知山の三個連隊をはじめとした自衛隊の部隊が、神戸に向かって出発しました。
 
 救助に向かうのに3時間半ロスしています。
 
 また、災害派遣を命ぜられた自衛官には、一般車輌を規制することができません。
 警察官のように一般の車を止めたり、信号を止めたりする権限がなかったのです。
 現在は法改正がされています。
 
 大きな災害は、最弱の内閣のときに起きるというジンクスがあります。
 
 阪神大震災は、村山内閣で、自衛隊の災害派遣をちゅうちょしたため被害者を増やしました。
 
 北日本大震災は菅内閣でした。官邸の手際の悪さにより、原子炉炉心融解による損害が増加しました。
TOPへ戻る