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2021年2022年バックナンバー

雑記帳

海外移民

 明治維新後の日本はまだまだ貧しかったといえます。
 明治政府による「官約移民」や民間会社を通して、ハワイや北米、南米などに移り住む人が増えました。
JICAによると、日本からの移民は戦前・戦後を通じて75万8468人だそうです。

 どこの県からの移民が多かったでしょうか。
 広島県が最多で、沖縄県、熊本県、山口県、福岡県、和歌山県と続きます。
 結構、積極的に海外に出て行くというお国柄の県ということになります。

 海を渡った人たちは、多くは大規模なプランテーション農園でのサトウキビ栽培や、コーヒー農園での収穫作業などに従事しました。

 海を渡った人たちは、移住先での永住ではなく、出稼ぎを目的としていました。稼いだお金の多くを、故郷へ送金していました。
 家族や親戚はもちろん、出身地の学校や寺、神社などへも送金されていて、故郷の暮らしを支えていました。

 故郷に錦を飾ることを夢見たものの、帰郷を果たせなかった人もいました。
 ただ、日本人は勤勉ですから、サトウキビ栽培やコーヒー農園の経営者だけではなく、実業家、政治家などに上り詰めていきます。
 ハワイ、アメリカ本土の場合、上院議員や知事、南米場合、大統領にのぼりつめた人も結構います。

 どこの地方でもそうでしょうが、飢饉の時に、自分が海外移民をするのではなく、娘を売って自分の保身をするということもありました。

 広島県、沖縄県、熊本県、山口県、福岡県、和歌山県にも、娘を売る人はいたかも知れませんが、食えないのなら、外国に行って一旗揚げようとした積極的な人は多かったと思います。


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