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2021年2022年バックナンバー

雑記帳

ドル高

 ドル高円安となっています。

 円高ドル安の時期が長かったですね。
 少し、ドル高円安になると大騒ぎになります。
 1ドル110円だったのが、一時、131円になったにすぎず、110円が200円になったわけではありません。また、少しずつ、円が強くなってきています。

 私が、ドイツに留学していたのは、昭和57年6月(1982年)から昭和59年(1984年)6月までです。

 留学当初は1マルク110円程度でしたが、ドイツ留学の最後の方は、1マルク86円程度に安くなっていて、生活は楽でした。
 マルクが下がったのは、ソ連が東ドイツにSS20という核ミサイルを配備し、西ドイツは、パーシングⅡという核ミサイルを配備して対抗し緊張が高まったからです。
 当時の西と東の最前線は、東西ドイツでした。

 現在はいくらか知りませんが、人事院の行政官長期在外研究員制度で2年海外留学する裁判官や検察官を含む公務員には、1日9600円、1年で約350万円の在外勤務手当がでていました。
 出張日当ですから、非課税です。
 裁判官の報酬が年間400万円台でしたから、破格の待遇でした。

 なぜ、これだけ優遇されているのかという理由は、アメリカの物価が高すぎて、アメリカに留学する公務員は生活していけなかった、ただ、アメリカに留学する公務員だけを優遇するわけにいかないので、イギリス、ドイツ、フランスに留学する公務員にも同額支給する制度になっていると聞きました。
 また、結婚している公務員は、配偶者の航空券や生活費はでないですから、その意味もあったのでしょう。

 私は、ドイツ留学の帰り、ニューヨーク、ワシントンDC(連邦最高裁の口頭弁論をみてきました)、ボストン、カナダのトロントとカルガリー、サンフランシスコに寄って帰国したのですが(ヨーロッパに留学する公務員はアメリカに、アメリカに留学する公務員はヨーロッパに、1か月を超えない限度でよって帰ると言うことが制度上認められていました)、アメリカに行って、物価の高さにびっくりしました。

 当時の公用パスポートを見ると、1984年6月10日にニューヨークに入国しています。

 1ドルがいくらかわかるサイトがあります。

1984/06/08 Fri 231.72
1984/06/11 Mon 231.92

 1ドル232円だったのですね。

 ニューヨークやワシントンのホテルは、安全を買うという意味で高いのは苦になりませんでしたが、朝食代にびっくりしました。
 マンハッタンにあるホリデイ・インに宿泊したのですが、オプションでホテルで頼んだ朝食は12ドルだった記憶があります。
 2800円ですね。
 別に豪華な朝食ではありませんでした。なにせホリデイ・インの簡単なバイキングですから。
 下手をすると、日本の比較的高いビジネスホテルの方が豪華かも知れないという内容でした。

 当時はやっていた、ブロードウェイの「キャッツ」の売れ残りの見にくい席で、ホテルのコンシェルジュへのチップを含めて120ドルは高いとは必ずしも思いませんでしたが、朝食は「高い!」と思いました。
 弁護士になってから、ニューヨークのブロードウェイやロンドンで、ミュージカルは約30作品は見ています。

 来年の年始にハワイに行く予定で、航空券とホテルは手配しています。
 びっくりするくらい高く感じることは覚悟していきます。
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