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雑記帳

破虜湖

 韓国の38度線付近に「華川ダム」というダムがあります。

 第二次世界大戦中の昭和19年、日本人により建設し完成したダムです。

 人造ダム湖は、日本人がダムを完成させたころは「大鵬湖」と呼ばれていましたが、「破虜湖」と呼ばれることになりました。

 破虜湖の戦いは朝鮮戦争が激戦となった昭和31年5月26日に起こりました。

 アメリカ軍第9軍団と中国義勇軍が激戦を展開しました。
 なぜか、韓国では、現実に戦ったアメリカ軍第9軍団ではなく、おまけ的な存在であった韓国第6師団が勝利したことになっています。

 当時の李承晩大統領は4年後に同湖を訪れ、中国の女真族に対する侮称である「オランケ」(北方の野蛮人=満州人の意)を打ち破ったとの意味の「破虜」を湖の名として定めました。

 直前の昭和30年5月、韓国北東部での「懸里の戦い」にて、韓国軍韓国第3師団の劉載興師団長が部下を見捨てて連絡機で逃走し、部下も雪崩をうって敵前逃亡した結果、第3師団は米軍の命令により解隊されるなど、韓国軍の信用度が地に落ちていました。
 韓国第6師団が主力として戦っていれば、師団長は逃亡、部下は敗走していたでしょう。勝利は米軍のおかげです。

 ただ、戦果に乏しい韓国では、韓国軍の圧勝として政治宣伝されてきたという経緯があります。

 現在、ダム湖周辺は風光明媚な観光地となり、中国からの観光客も訪れるようになっています。

 そこで目にするのが、李承晩の揮毫した「破虜湖」の石碑と、いかに中国軍を撃滅したかを示す資料を集めた記念館です。

 ここで破虜湖という侮辱的な名前の由来を知った中国人が反感を示すようになりました。

 そして、令和元年4月、韓国の地元紙「江原道日報」が、冷戦の象徴である「破虜湖」の名称変更を政府が地元自治体に要請し、新名称を「大鵬湖」とする案があると報じました。

 ただ、韓国紙である朝鮮日報(電子版)は名称変更に反発し、中国は、韓国政府や自治体に『中国の観光客が不快に感じている』として、名前を変えろと要求しているという」と報じ、「破虜湖改名を推進する韓国政府の無知と事大主義」と題したコラムも掲載しました。

 数少ない、韓国軍兵士がまともに戦った戦闘の歴史を隠蔽するとは何事かという論旨です。

 また、朝鮮戦争で中国義勇軍の参戦さえなければ米韓軍が勝利し、朝鮮半島は統一されていたはずで、「悲劇の分断国家」にしたのは中国なのに、その中国におべっかを使うように名を変えるのは、李氏朝鮮時代の政治「事大主義」の復活にほかならないと批判が起きました。

 さらに、新名称の「大鵬湖」にも批判が集まりました。
 「大鵬湖」は日本の企業などが命名したからです。

 どちらでもいい、勝手にしてくれという話ですね。
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