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雑記帳

外満州

 中国は「いいたい放題」領土の主張をするというイメージがあります。
 中国人は「清」の領土を継承していると思っているようです。つまり、中国人は、「清の領土は全て、漢民族の領土」という理屈ですね。
 さすがに、ロシアを含む東ヨーロッパまで版図のおよんだ「元」の時代の領土まで要求はしていません。

 ただ「清の領土は全て、漢民族の領土」という主張には、例外があります。
 外満州(がいまんしゅう)です。

 満州は、内満州(単に「満州」ともいいます)と外満州に分かれます。
 内満州が中国東北部(赤色)、外満州がロシア沿海州(ピンク色)に該当します。
 最初から内満州と外満州に別れていたわけではなく、内満州が中国領、外満州がロシア領ということです。
 満州民族は、満洲に発祥したツングース系民族で、古くは女真族といいました。
 「清」は満州民族(女真族)の征服王朝です。

 東方進出を進めるロシアと清は、満州の領土について争いました。
 清に力があった1689年のネルチンスク条約で、ロシアと清の間には国境が画定され、外満州は清の領土となりロシアは排除されました。
 ロシアは、不凍港を獲得し、太平洋への出口を求めて日本海沿岸への進出を図るようになりました。
 1840年から2年間にわたった阿片戦争により、「眠れる獅子」といわれた清が、実は「張り子の虎」であることがわかってしまいました。
 ロシアと清の間の1858年のアイグン条約でアムール川より北側が、1860年のロシアと清の間北京条約でウスリー川より東が、清からロシアに割譲され、外満州はすべてロシア領となりました。

 ロシアは、念願の不凍港ウラジオストックを得ました。
 逆に、清は、日本海側の出口を失いました。内満州は、北朝鮮が海への道をふさいでいます。

 現在も、中国は、日本海側に港をもっていません。
 中国が「帝国主義時代にとられた領土の回復」というなら、面積からしても、ロシアの領土となっている外満州が「第一候補」のはずでしょう。

 中国は、ロシアと珍宝島(ダマンスキー島)の管轄をめぐって多くの死者を出す武力衝突をしていますが、1991年、中ソ国境協定が結ばれ、外満州の大部分に関して国境線が定まり、1994年、中ロ国境協定により中央アジア部分に関する中ロ国境協定が結ばれています。

 中国は、強いと見た相手とは、本格的戦争をする「度胸」はないのでしょうが、ウクライナ戦争で弱ったロシアから領土奪回のチャンスではあります。


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