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雑記帳

忘れられた「原爆マグロ」 築地市場に埋められた負の遺産

 築地市場が、平成30年10月6日、83年の歴史に幕を下ろしました。

 遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は、昭和29年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びました。

 死の灰を浴びた魚が、築地市場に眠っています。

 プレートには、以下のとおり記載されているそうです。
「1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。

 全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。

 このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。」

 築地市場に第五福竜丸から水揚げされたマグロ2トンが届いたのは、被曝から約2週間後の昭和29年3月16日のことでした。

 「築地市場からは同船の魚は街頭に流れていない模様。16日午後1時半から原爆魚の放射能の測定を行った。
 放射能測定器で測定したところ、1ミリグラムのラジウムが持つ放射能と同程度の放射能が記録された。この放射能は相当強いもので、30センチ以内に長くいると放射能の害を受けるし、またもちろん食べれば危険がある」と当時の朝日新聞が報じているそうです。

 昭和29年3月17日の読売新聞「原子マグロ土葬 魚河岸はもう大丈夫」には、こんな記述があるそうです。

「 都衛生局で16日夜6時から緊急会議を開き、マグロ、サメ等大物販売所に隔離してあった原子マグロを場外駐車場に運び出し地下2メートルに埋めるとともに場内を散水車で洗い斎藤科研所員が付近一帯をガイガー・カウンターで再検査したところ全く放射能は認めず」

 なぜ、のこのこと持ち帰ったのでしょうか。
 そのまま海に戻してもよかったような気がします。


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