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2023年バックナンバー

雑記帳

朝鮮半島の三一運動

 三一運動とは、昭和8年(1919年)3月1日に、京城市(現・ソウル市)鍾路区にあるパゴダ公園で独立宣言書が読み上げられ、そこに集まった人々は「大韓民国独立万歳」と叫びながらデモを繰広げた運動の事です。

 韓国憲法前文には「大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」という記載があります。
 韓国は、昭和23年8月15日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言、同日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となっています。
 北朝鮮は、ソ連の朝鮮占領軍が監督する中で、昭和23年9月9日に独立を宣言しました。
 建国の翌年の昭和24年6月30日に北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合併し、朝鮮労働党が成立しています。

 韓国の建国記念日は昭和23年8月15日、北朝鮮の建国記念日は昭和23年9月9日のはずなのですが、やはり、イデオロギー的なものがあるとされています。
 韓国では、毎年8月15日が独立記念日として祝日になっています。
 もちろん、北朝鮮は、昭和8年3月1日を独立記念日と認めず、昭和23年9月9日が独立記念日です。

 平成27年6月27日、フジテレビで「池上彰緊急スペシャル知ってるようで知らない韓国のナゾ」という番組が放送されました。

 池上彰氏は「韓国という国は、韓国人が自ら戦って国を作ったのではない。日本が戦争して朝鮮半島を捨てた後、韓国ができた。棚からぼた餅式で国ができちゃった」とし、「自分たちが戦って国を作ったことがないので、劣等感を持つようになった」と述べました。
 池上彰氏の解説を聞いたからかどうかはわかりませんが「日本の敗戦で棚からぼた餅式で国ができた」というのは都合が悪いと考えたのでしょう、昭和8年(1919年)3月1日に起きた三一運動を独立宣言の日とし、その日に大韓民国が建国されたということにしました。

 令和5年(2023年)3月1日は、三一運動がおきた昭和8年(1919年)3月1日から104年という事になります。

 なお、三一運動の直接のきっかけは大韓帝国初代皇帝高宗の葬儀とされています。
 大韓帝国ができたのは、日清戦争に日本が勝利し、李氏朝鮮が、清からの独立ができたため高宗は皇帝を名乗りました。
 高宗の死は自然死であったと考えられていますが、韓国国内にはいろいろな噂が出回りました。中には、日本の陰謀説もあったようです。
 昭和8年(1919年)3月13日に国葬が行われることになっていたため、この日に向けて計画が立てられました。韓国でも独立を求める運動が始まったということかも知れません。
 三・一独立運動で独立宣言書の読み上げに参加したのは33人で中心となったのは天道教やキリスト教、仏教の指導者です。
 独立宣言書は天道教の印刷所で印刷され、各自の宗教ネットワークを通じて各都市に配布されました。
 独立運動によるデモは500か所以上で起き、参加する人も学生や知識人から始まって、農民や官僚、貴族までほぼすべての階層を巻込む大規模な運動となっていきます。
 最初は平和的なデモ行進やストを行っていた独立運動も、次第に憲兵や警官のいる駐在所を襲ったり、投石や放火も行われるなど、治安部隊との衝突も激しくなっていきました。
 日本政府は朝鮮総督府を通じてデモの鎮圧を急ぎ、警察の他軍隊を投入して中心人物の逮捕、武力による鎮圧を進めました。
 2か月ほどでこの独立運動は終息し、昭和8年(1919年)3月中には新たな騒ぎは起こらなくなりました。

 その後朝鮮半島では、第二次世界大戦の終戦までの20年余り、大きな独立運動は起きませんでした
 本当に、独立を目論んでいたら、内乱罪になります。
 刑法77条には、内乱罪として、以下のとおり定められています。
1 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
 一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
 二 謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は3年以上の禁錮に処し、その他諸般の職務に従事した者は1年以上10年以下の禁錮に処する。
 三 付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、3年以下の禁錮に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第3号に規定する者については、この限りでない。

 検察官は、内乱罪の適用を求めたのですが、朝鮮高等法院(日本では内乱罪の第一審は高等裁判所(旧・控訴院))は公訴事実につき内乱罪ではなく騒擾罪が成立するとし事件を京城地方法院(一般犯罪の第一審は地方裁判所)に移送しました。
 日本の裁判所の独立は、児島惟謙の大津事件のころから確立していたようです。その伝統なのかもしれません。
 現在も、日本の裁判所の独立は確固たるものがあります。
 刑法106条には、騒乱罪(旧・騒擾罪・明治40年制定)として、以下のとおり定められています。
 多衆で集合して暴行又は脅迫をした者は、騒乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
 一 首謀者は、1年以上10年以下の懲役又は禁錮に処する。
 二 他人を指揮し、又は他人に率先して勢いを助けた者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
 三 付和随行した者は、10万円以下の罰金に処する。

 内乱罪は「破廉恥罪」ではありませんから、「禁固刑」のみです。「懲役刑」はありません。
 一審判決が完了した被告人は4026名で、このうち有罪判決を受けたのは3967名です。死刑・無期懲役になった者、懲役15年以上の刑に処せられた者はいません。
 といいますか、禁固刑に処せられたものは1名もいません。すべて「破廉恥罪」=「懲役刑」です。
 日本の裁判所は、三・一独立運動を「独立運動」=「内乱罪の適用」=「禁固刑による処罰」とみていません。
 「単なる暴動・騒乱罪」=「懲役刑による処罰」をしています。

 もちろん、韓国憲法前文にある「大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」というのは、フィクションにすぎません。北朝鮮では、3・1運動は、失敗したブルジョア蜂起と否定的な評価をしています。

 ただ、よその国が、フィクションで運動をしようとするのを邪魔する理由もありません。勝手にやらせておけばよいということになります。

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