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2023年バックナンバー

雑記帳

東西ドイツの核兵器配備

 今、ウクライナ戦争で、ウクライナに援助している国で最も熱心なのは、ポーランドとバルト3国です。
 バルト3国は、カリーニングラートロシアと接していますし、ポーランドは、ウクライナの次は自国です。

 ずいぶん、東西の境界線が東に動きました。

 その前の最前線はドイツでした。
 私が西ドイツに留学していた1982年から1984年までは、東西冷戦の真っ最中でした。
 ちなみに、ベルリンの壁崩壊は1989年、ドイツ統一は1990年のことです。

 NATO(北大西洋条約機構)は、冷戦中はソ連共産圏に対抗するための西側軍事同盟です。
 1979年時の加盟国は、アメリカ、イギリス、カナダ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、デンマーク、アイスランド、ノルウェー、イタリア、ポルトガル、ギリシャ、トルコ、西ドイツです。
 加盟国は域内のいずれかの国が攻撃された場合に、共同で応戦する義務を負っていました。
 冷戦期には、アメリカ主体の西側陣営と、ソ連を中心とする東側陣営が、軍拡と核開発にしのぎを削り、それによって安定と均衡を保っていました。
 先に手を出せば、自国に破壊的な報復がもたらされるという恐怖によって、米ソ間の直接戦争を回避してきたということになります。

 1975年、ソ連がSS-20ミサイルを欧州東部に配備しました。SS20は、核弾頭を搭載する強力な中距離弾道ミサイルです。
 西ヨーロッパ諸国の多くは、射程範囲に入りました。
 これに対し、アメリカは、米のパーシングⅡ型ミサイル108基と、巡航ミサイル・トマホーク464基を、1983年から西ヨーロッパに配備することを決定しました。
 ソ連が、SS-20を撤去しなければ、同レベルのパーシングⅡ型ミサイル、巡航ミサイル・トマホークを配備して対抗するというわけです。
 核兵器の発射拠点であると同時に攻撃目標になっている東西両ドイツを舞台に、すべてを抹殺する核戦争が勃発しかねないということを意味していました。

 私が住んでいたボンは、当時の首都でしたから、ほぼフランス国境近く、ワルシャワ条約機構軍(東ドイツ軍)が、戦車で攻めてきても、まず大丈夫という位置にありました。
 戦争が始まれば、陸路でフランスに逃げればセーフでした。

 ただ、核ミサイルをボンに発射されたのではひとたまりもありません。
 核ミサイルが怖いといって帰国するわけにもいきませんから、核戦争が勃発したら、運が悪かったとあきらめるほかないと観念するしかありませんでした。
 といっても、パーシングⅡ型ミサイル、巡航ミサイル・トマホークを配備は1983年のことで、あと1年何もなければ、日本に帰ることができます。

 日本に核ミサイルが飛んでくるという心配をする人は少ないでしょうが(現実には、ロシアと中国の核ミサイルは日本を破壊することができます。ただ、日本を核ミサイルで攻撃しても意味はありません)、当時の西ドイツ人は、核戦争の勃発を怖がっていました。

 幸い、核戦争は起きませんでした。

 私の実生活での影響は為替でした。
 マルクが安くなりましたから、円建てで給与や在外勤務手当をもらっている身としては、ありがたかったですね。
 といっても、当時の西ドイツの物価は、為替水準からして安かったため、1年経過した時点で、2年分の生活に十分なマルク預金ができましたから、1年分は日本の銀行口座に振込んでもらうよう依頼しました。
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