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2023年バックナンバー

雑記帳

プロフェッションの宿命

 医師と法律家と僧侶は「人の不幸」で「飯をくっている」といって間違いありません。

 ヨーロッパの大学の起源をみると「医学部」「法学部」「神学部」がスタート、「プロフェッション」といわれるゆえんは、僧侶は「心の悩み」を解決し、医師は「身体の悩み」を解決し、法律家は「社会の悩み」を解決するということで、古来より必要不可欠であったことがわかります。
 経済学部、商学部、文学部、理学部、工学部は、社会が進んでから必要になった新しい学部です。

 「貸したお金が問題なく返り」「売ったお金は間違いなく入金され」「土地の境界争いがなくなり」「交通事故もなく」「夫婦円満離婚もなく」「相続は円満に分割」「犯罪者はいない」という夢のような社会では、裁判官、検察官、弁護士の法律家は不要です。
 現実に、社会の紛争がある限り、法律家は必要となります。
 弁護士の場合、扱う事件が事件ですから、幸福な顔をした依頼者はいません。
 何らかの「不幸」をかかえています。
 紛争がうまく解決し、「不幸な顔」で来所した依頼者が、事件の終了時に「幸福な顔」とまでいかなくても、「普通の顔」になってくれるように努力をしておりますし、よりよい「顔」をみるのが楽しみで、仕事をしているといってしまうと、恰好よすぎでしょうか。

 医者も、産婦人科を除いて、幸福な顔をした患者はいません。
 神職、僧侶も、基本的に、幸福な顔をした信徒はいません。
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