2023年バックナンバー
雑記帳
旧日本軍が太平洋越しに放った1万個の風船爆弾
アメリカの上空で中国の「気球」が撃墜され、ニュースが大きく報じています。
アメリカ国防省は中国の偵察用気球と断定し、中国が数年前から大規模な偵察活動を続けていたと指摘しています。
その昔、第2次世界大戦中、日本軍はアメリカ本土に向けて放った風船爆弾でした。
偏西風に乗って太平洋を越え、アメリカ本土に続々と押し寄せました。
「ふ号作戦」と呼ばれたこの作戦で放たれた気球の数は約1万機に上るとされています。 風船爆弾は全米26の州で発見または観測されたほか、メキシコでも確認されました。
気球は充填された水素によって浮遊し、爆弾をアメリカへ運びました。9メートルの巨大気球でした。
和紙製で、こんにゃくで貼り付けられていたようです。
米ワシントン・ポスト紙は、各気球には2発の焼夷弾のほか、33ポンドの対人爆弾が積まれていたと報じています。
熱気球と同じように、風船爆弾は複数の土嚢を備えていました。
飛行高度が低下すると、土嚢を結び付けている紐が自動的に爆薬により切断され、軽量化して再び上昇するしくみだったようです。
32個の土嚢を使い果たすまでこの動作を繰り返すと、その頃にはちょうどアメリカ本土の上空に到達しているという計算です。
土嚢をすべて失った気球は、今度は土嚢と同じ要領で、搭載の爆弾を切離して投下します。
最後に自爆して気球自体も姿を消す算段でしたが、実際には動作不良のまま残った個体が今日までに多く回収されています。
日本軍はおよそ1万機を放っており、うち実際に確認されたものは300機程度、割合にしてわずか3%ほどがアメリカに到達したそうです。
西部オレゴン州、人口700人ほどの小さなブライの町は、気球爆弾がアメリカ本土で死者を出した唯一の地と言われます。
子供5人と妊婦1人が死亡したそうです。
なお、アメリカ軍は、土の分析で日本製と分かっていました。
爆弾も危険ですが、よりおそろしかったのは、細菌など生物兵器を搭載していることだったそうです。
もちろん、その当時は風任せで、どこに飛ぶのか風船に聞いてほしいと言うことだったでしょう。
アメリカ国防省は中国の偵察用気球と断定し、中国が数年前から大規模な偵察活動を続けていたと指摘しています。
その昔、第2次世界大戦中、日本軍はアメリカ本土に向けて放った風船爆弾でした。
偏西風に乗って太平洋を越え、アメリカ本土に続々と押し寄せました。
「ふ号作戦」と呼ばれたこの作戦で放たれた気球の数は約1万機に上るとされています。 風船爆弾は全米26の州で発見または観測されたほか、メキシコでも確認されました。
気球は充填された水素によって浮遊し、爆弾をアメリカへ運びました。9メートルの巨大気球でした。
和紙製で、こんにゃくで貼り付けられていたようです。
米ワシントン・ポスト紙は、各気球には2発の焼夷弾のほか、33ポンドの対人爆弾が積まれていたと報じています。
熱気球と同じように、風船爆弾は複数の土嚢を備えていました。
飛行高度が低下すると、土嚢を結び付けている紐が自動的に爆薬により切断され、軽量化して再び上昇するしくみだったようです。
32個の土嚢を使い果たすまでこの動作を繰り返すと、その頃にはちょうどアメリカ本土の上空に到達しているという計算です。
土嚢をすべて失った気球は、今度は土嚢と同じ要領で、搭載の爆弾を切離して投下します。
最後に自爆して気球自体も姿を消す算段でしたが、実際には動作不良のまま残った個体が今日までに多く回収されています。
日本軍はおよそ1万機を放っており、うち実際に確認されたものは300機程度、割合にしてわずか3%ほどがアメリカに到達したそうです。
西部オレゴン州、人口700人ほどの小さなブライの町は、気球爆弾がアメリカ本土で死者を出した唯一の地と言われます。
子供5人と妊婦1人が死亡したそうです。
なお、アメリカ軍は、土の分析で日本製と分かっていました。
爆弾も危険ですが、よりおそろしかったのは、細菌など生物兵器を搭載していることだったそうです。
もちろん、その当時は風任せで、どこに飛ぶのか風船に聞いてほしいと言うことだったでしょう。