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2023年バックナンバー

雑記帳

ダッハウ強制収容所

 ナチスの強制収容所で有名なのは、アウシュビッツ強制収容所です。
 もっとも、ポーランドまでいかなければなりません。

 当然、ドイツ国内にも強制収容所はありましたし、現在も記念のために残しています。
 今年の大型連休に、ダッハウ強制収容所に行ってきました。
 ダッハウ強制収容所は、ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウにあります。
 ミュンヘン中央駅からSバーン(近郊列車)で20分ほど、そこから、バスに乗り換え10分ほどです。

 日本人旅行客は余りいきませんが(ドイツ語と英語の案内しかありません)、結構人気のスポットのようです。バスが一杯で乗り切れるかどうか不安になるほどです。

 ちなみに、広島平和記念資料館は200円の入場を徴収しますが、ダッハウ強制収容所は無料です。オーディオガイドは有料です。日本語のオーディオガイドはありません。
 記録映画を上映していましたが、これも無料です。

 ナチスによる強制収容所は、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が一番有名ですが、ダッハウ強制収容所は、もっとも、古い強制収容所として有名です。
 30以上の国々からダッハウ強制収容所に20万人が送り込まれ、その内の3分の1近くがユダヤ人でした。
約3万2000人が、収容所内で殺害され、あるいは、疾病、栄養失調、自殺により死亡しました。

 ガス室は設置されていましたが、利用はされていなかったそうです。

 なお、ドイツの降伏間近に、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊で、士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた第442連隊戦闘団が、ドイツ軍との戦闘の末、ダッハウ強制収容所を発見しました。
 ダッハウ強制収容所の守備隊を殲滅したのは、日系の第442連隊です。

 ただ、収容所突入、解放の最後の手柄は、アメリカ人部隊に譲ることになりました。
 ダッハウの虐殺と呼ばれる事件があります。
 アメリカ人部隊が、ダッハウに乗り込み、所長(代行)を始めとするドイツ軍人を拷問・リンチの末、裁判なしの処刑によって多数を殺戮しました。
 日系人部隊は、この虐殺には参加していません。日系人部隊が解放していたら、そんな愚かなことはしないでしょう。
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