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2023年バックナンバー

雑記帳

母を訪ねて三千里

 「母をたずねて三千里」というアニメがありました。

 イタリアのジェノバに住むマルコという少年が、アルゼンチンに出稼ぎに行ったお母さんにひとり会いに行くというストーリーです。
 マルコは1882年、「フォルゴーレ号」という蒸気船に乗って旅立ちます。
 その旅程は、ジェノバ →バルセロナ→ダカール→リオデジャネイロ→ブエノスアイレスというものでした。
 しかし、ブエノスアイレスにいるはずのお母さんは見つからず、結局、マルコはアルゼンチン国内を北上することになります。

 なぜマルコのお母さんは、アルゼンチンくんだりまで出稼ぎに行ったのでしょうか?

 当時、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどでは、産業革命の進展を受けて人口爆発が起こっていました。
 農業もある程度近代化され、労働人口が余っていました。
 しかし、多くの労働力を吸収できるような技術革新はまだです。
 このような時代背景のもと、ヨーロッパから大量の移民が、北米や南米へと旅立っていきました。
 当時のアルゼンチンは、農業・畜産業の大国でした。
 1929年時点で、アルゼンチンは世界第5位の経済大国でした

 アルゼンチン

 サイモン・グズネッツーというアメリカの経済学者・統計学者の有名な言葉のひとつに「世界には4つの国しかない。先進国と途上国、そして、日本とアルゼンチンである」という有名な言葉があります。

 先進国はいつまでたっても先進国であり続け、途上国はいつまで経っても途上国でありつづける。但し、例外はある。たった2か国だけとの説です。

 米国の経済学者ポール・サミュエルソンも、世界の国々は4つのタイプに分類できる、「豊かな国」「貧しい国」、そして「日本」「アルゼンチン」であるというジョークを言っていました。

 他方、1900年初頭、アルゼンチンは黄金期を迎えていました。
 世界を制するのはアメリカかアルゼンチンかというほどの国力を誇っていたのです。
 一方アルゼンチンは、豊かな資源がありながら、工業化に失敗し、衰退し、途上国レベルまで落ちてしまいました。 
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