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2023年バックナンバー

雑記帳

東西ドイツ統一

 東西ドイツは、平成2年(1990年)10月3日、統一されました。
 なお、10月3日は「ドイツ統一の日」(Tag der Deutschen Einheit)で祝日です。
 かつての、5マルク硬貨の側面には、「EINIGKEIT」(統一)「RECHT」(正義)「FREIHEIT 」(自由)の文字が刻まれていました。

 なお、「ドイツ統一」といいますと、プロイセン王国が主導したドイツ帝国の成立(1871年1月18日)と混同されるおそれがありますから、「東西ドイツ統一」「ドイツ再統一」と呼ぶと誤解がありません。

 東ドイツの県が廃止され州が設置され、5州(ベルリン市=州と同格を含む)の西ドイツ加盟が決議され、さらに、西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州が西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に加入したのが平成2年10月3日です。
 東ドイツ地域の各州がドイツ連邦共和国に「加入」したにすぎませんから、従前の法体系に変化はありません。もちろん、東ドイツ地域の各州は変わっています。
 ドイツ再統一で、法体系が「さぞかし変わった」と思われる方がおられるかも知れませんが、そうではありません。

 ただ、33年経過しても、しかし、「古い諸州(旧西独)」と「新しい諸州(旧東独)」という言い方が厳然として存在していて、東西の格差は残っています。
 分断期間は約40年です。
 共産主義体制下で発展が大きく遅れた旧東地域の復興のため膨大な費用がつぎ込まれたました。
 旧西ドイツの人は「旧東のせいで自分たちの負担が重くなった」と感じいてます。
 旧東ドイツの人は、経済の遅れ、失業率の高さを恨んでいます。

 統一後生まれた人が33歳(ちなみに、ドイツの「成人」は18歳です)になったところですから、仕方がないでしょうね。
 33年経過しても、未だに「連帯税」が課されています。

 統一当時のコール西独首相の側近として対外交渉を担ったペーター・ハルトマン元西ドイツ外務次官(84)が「統一を最も強く支援してくれたのは、欧州ではなく米国だった」と回想しました。
 ハルトマン氏は平成2年(1989年)11月のベルリンの壁崩壊時、西独首相府の外交安保局次長でした。
 「壁崩壊後の12月、ブッシュ米大統領が西側首脳で最初に統一を提起してくれた」と話しています。

 当たり前の話で、周辺諸国にとって、ドイツは分断してくれていた方が安心です。
  「ドイツ大好き。好きなドイツは2つあった方がいい」という言葉は、結構有名です。

 南北ベトナム、東西ドイツは統一されましたが、それに比べ、南北朝鮮は統一される気配すらありません。
 どこに問題があるのでしょうか。
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