2023年バックナンバー
雑記帳
アゼルバイジャンが隣国のアルメニアとの係争地ナゴルノカラバフで戦争開始
旧ソ連構成国であるアゼルバイジャンは、令和5年9月19日、隣国であり、旧ソ連構成国であるアルメニアとの係争地ナゴルノカラバフで軍事作戦を開始しました。
紛争の中心は、係争地ナゴルノカラバフです。
アゼルバイジャン国内の山岳地帯で、国際的にはアゼルバイジャン領として認められています。
アゼルバイジャンは、ナゴルノカラバフでアルメニア系勢力が仕掛けた地雷によって民間人が死亡したなどと主張し、令和5年9月19日、作戦に着手しました。アゼルバイジャンのアリエフ政権は「武器を放棄し、軍事組織を解体しなければ、作戦を続ける」として、アルメニア系勢力に降伏を迫まりました。
ロシアが、アゼルバイジャンとアルメニアとの争いに構っている余裕はありませんから、今のうちにと言うことでしょう。
アゼルバイジャンは、翌令和5年9月20日、係争地ナゴルノ・カラバフでの軍事行動開始により主権を回復したと宣言しました。
アルメニア系住民の行政府「ナゴルノカラバフ共和国」は、令和5年9月28日、令和6年1月1日に全ての政府機関を解散すると発表しました。
アルメニアが完全降伏です。
キリスト教徒であるアルメニア系住民は、ナゴルノカラバフに数世紀前から暮らしていたと主張しています。
住民の多くがトルコ系イスラム教徒であるアゼルバイジャンもまた、ナゴルノカラバフに歴史的に深いつながりがあると主張しています。
2つの民族による血なまぐさい争いは、1世紀以上前にさかのぼります。
ソ連崩壊までは、アゼルバイジャンとアルメニアともに、ソ連を構成する共和国の1つでしたから、派手に争うということはなかったようです。
ソ連が崩壊して、アゼルバイジャンとアルメニアが主権国家になってから争いが激化しました。
1度目の戦争は1988年から94年にかけて、2度目は2020年に発生し、44日間続きました。
最初の戦争では、100万人以上が家を失った。そのほとんどはアゼルバイジャン人で、アルメニア側がナゴルノカラバフを支配することになり、故郷を追われました。
2回目の戦争でアゼルバイジャンがナゴルノカラバフの3分の1を奪還しました。
過去2度の戦争で、何万人もの人々が命を落としたといわれています。
ナゴルノカラバフはアルメニア領内ですが、アルメニア系住民が支配をしていました。
ロシアが両者の停戦を仲介し、ナゴルノカラバフとアルメニアを接続する「ラチン回廊」と呼ばれる道の警備に当たるため平和維持軍を派遣していました。
ロシアに余裕がなくなったので、これを好機として、アゼルバイジャンが攻撃したのですね。
なお、日本の立場は、令和5年9月19日、上川外務大臣が、軍事活動停止求める談話を発表しています。
ただ、1日で争いは終了しました。
紛争の中心は、係争地ナゴルノカラバフです。
アゼルバイジャン国内の山岳地帯で、国際的にはアゼルバイジャン領として認められています。
アゼルバイジャンは、ナゴルノカラバフでアルメニア系勢力が仕掛けた地雷によって民間人が死亡したなどと主張し、令和5年9月19日、作戦に着手しました。アゼルバイジャンのアリエフ政権は「武器を放棄し、軍事組織を解体しなければ、作戦を続ける」として、アルメニア系勢力に降伏を迫まりました。
ロシアが、アゼルバイジャンとアルメニアとの争いに構っている余裕はありませんから、今のうちにと言うことでしょう。
アゼルバイジャンは、翌令和5年9月20日、係争地ナゴルノ・カラバフでの軍事行動開始により主権を回復したと宣言しました。
アルメニア系住民の行政府「ナゴルノカラバフ共和国」は、令和5年9月28日、令和6年1月1日に全ての政府機関を解散すると発表しました。
アルメニアが完全降伏です。
キリスト教徒であるアルメニア系住民は、ナゴルノカラバフに数世紀前から暮らしていたと主張しています。
住民の多くがトルコ系イスラム教徒であるアゼルバイジャンもまた、ナゴルノカラバフに歴史的に深いつながりがあると主張しています。
2つの民族による血なまぐさい争いは、1世紀以上前にさかのぼります。
ソ連崩壊までは、アゼルバイジャンとアルメニアともに、ソ連を構成する共和国の1つでしたから、派手に争うということはなかったようです。
ソ連が崩壊して、アゼルバイジャンとアルメニアが主権国家になってから争いが激化しました。
1度目の戦争は1988年から94年にかけて、2度目は2020年に発生し、44日間続きました。
最初の戦争では、100万人以上が家を失った。そのほとんどはアゼルバイジャン人で、アルメニア側がナゴルノカラバフを支配することになり、故郷を追われました。
2回目の戦争でアゼルバイジャンがナゴルノカラバフの3分の1を奪還しました。
過去2度の戦争で、何万人もの人々が命を落としたといわれています。
ナゴルノカラバフはアルメニア領内ですが、アルメニア系住民が支配をしていました。
ロシアが両者の停戦を仲介し、ナゴルノカラバフとアルメニアを接続する「ラチン回廊」と呼ばれる道の警備に当たるため平和維持軍を派遣していました。
ロシアに余裕がなくなったので、これを好機として、アゼルバイジャンが攻撃したのですね。
なお、日本の立場は、令和5年9月19日、上川外務大臣が、軍事活動停止求める談話を発表しています。
ただ、1日で争いは終了しました。