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2023年バックナンバー

雑記帳

自然科学系ノーベル賞に根強い「白人男性偏重」

 今年は、日本人にノーベル賞受賞者がいませんでした。
 2年連続です。
 ノーベル賞は、発見から20年、30年、あるいはもっと後になって受賞しすることになっていて、現在のところ、受賞候補者は山ほどいますから、いずれ受賞するでしょう。
 ただ、日本の研究環境に鑑みると、現在の研究者が受賞するということは難しくなるでしょうね。

 ノーベル賞はスウェーデンのアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて創設されました。
 現在は化学、物理学、医学・生理学、文学、平和、経済学の6分野で、第1回は1901年で、3人以内、生存者のみとなっています。
 受賞者を見ると、長寿者が多いですね。

 自然科学系の受賞者は、日本人が受賞しなければ、白人男性が、ほぼ全員ということが多いようです。
 自然科学系の受賞者は女性が極端に少なく、黒人受賞者は0です。
 女性は、キューリー夫人が、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞しているという印象が強烈ですが、その後は、あまり、ふるわないようです。
 黒人は、平和賞12人、文学賞4人、経済賞1人受賞していますが、自然科学系の賞は全く受賞していません。

 ただ、女性蔑視とか黒人差別とかいう問題なのかどうかは疑問です。

 日本人が初めてノーベル賞を受賞したのは1949年のことで、女性に遅れること46年、黒人より1年早く(アメリカのラルフ・バンチ氏が1950年に平和賞を受賞)しています。

 日本人で、本来なら、ノーベル賞がとれたのに、戦前は、人種差別のためノーベル賞がとれなかったといわれている研究者は多くいます。
 北里柴三郎は、「ジフテリアの血清療法の研究」で成果を上げ、第1回医学賞の有力候補でしたが、実際に受賞したのは、北里の共同研究者のドイツ人フォン・ベーリングでした。
 副腎皮質ホルモンを結晶化し「アドレナリン」の名付け親となった高峰譲吉もノーベル賞を受賞できませんでした。
 ビタミンB1の発見者鈴木梅太郎博士もノーベル賞を受賞できませんでした。

 例として、農芸化学者の鈴木梅太郎博士(1874年~1943年)をみてみます。
 ビタミンを世界で最初に発見しています。

 鈴木梅太郎博士は、1901年、文部省留学生としてドイツのベルリン大学にてタンパク質やアミノ酸について研究しました
アジア特有のものについて研究すると決め、日本人の国民病ともいえる「脚気」の原因をはじめました。
 当時、陸軍は、ウィルスあるいは細菌感染症によるものと主張し、海軍は、日本人の食事を原因とするものと主張していました。

 研究を進めるにつれ梅太郎博士は、米や麦の胚芽には何か有効成分が含まれていて、脚気はその成分不足で起こる栄養失調症なのではとの仮説を立てました。
 そして、米ぬか(米胚芽)の研究を進め、1910年に、抗脚気有効成分を取り出すことに成功し、これが新しい栄養素であることもわかりました。
 1910年12月に、この有効成分を「オリザニン」と名付けて東京化学会(現、公益社団法人日本化学会)の例会で発表しました。
 米ぬかからオリザニンを抽出する方法を詳しく説明し、動物実験の結果を報告。病院や研究所などで臨床試験を行いました。
当時、人間が生きていく上で必要な栄養素は、「炭水化物」「タンパク質」「脂質」「ミネラル」の4つとされていました。
 しかし鈴木梅太郎博士は研究を通じて、4つの栄養素だけでは生命を維持することはできない。「オリザニン」も摂取しなければならないと説きました。「オリザニン」は、現在のビタミンB1です。

 現在、人間が生きていく上で必要な栄養素は、「炭水化物」「タンパク質」「脂質」「ミネラル」「ビタミン」の5大栄養素とされています。
 鈴木梅太郎博士は負けてはいません。1911年1月、東京化学会誌に論文の投稿と、オリザニンの製造方法を特許庁に出願して、同年10月には特許が下りました。
 1912年、三共商店(現・第一三共株式会社)から、脚気の特効薬オリザニン液として販売を始めました。

 英国生まれのポーランドの生化学者フンク博士は、梅太郎博士と別個に同研究を続けていたのですが、1911年8月、ドイツの学術雑誌に、オリザニンの発見と米ぬかからの抽出方法のサマリーが掲載されました。
フンク博士は、発見した物質を「ビタミン」として英国の学術雑誌で大々的に紹介。これが大きな反響を呼び、「ビタミン」の名称が広まりました。

 鈴木梅太郎博士の論文のドイツ語訳が、1911年12月、ドイツの学術雑誌に掲載されました。しかし、フンク博士より後でした。二番煎じと思われたのかも知れません。
 1912年、鈴木梅太郎博士はノーベル生理学・医学賞の候補になりますが、受賞はできませんでした。
ビタミンの名付け親はフンク博士ですが、発見者は鈴木梅太郎博士であることは認められています。
 ちなみに、フンク博士も、ノーベル生理学・医学賞を受賞しておらず、1929年に、オランダの医師エイクマンと英国の化学者ホプキンズ博士が「ビタミンの発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

 鈴木梅太郎博士が、ノーベル生理学・医学賞を受賞できなかったのは人種差別という人もいます。
 オリザニンを「新しい栄養素」と記さなかったり、英語で論文を書かなかったりと、発表方法に不手際があったから、ノーベル賞を受賞できなかったと言う人もいます。
 鈴木梅太郎博士は、その後、東京帝国大学教授と兼務して理化学研究所の研究員となり、研究生活を送ります。

 ただ、戦後、日本人が自然科学系の受賞者の常連となったことは、ご存知のとおりです。
 その意味で、人種差別はなくなったかと思います。
 もっとも、他にも、白人国家あるいは白人ばかり、但し、日本と日本人だけが例外という事例は、ノーベル賞以外にも多いですね。

 ちなみに、ノーベル賞を授与しているスウェーデン王立科学アカデミーは、令和5年10月、同賞にジェンダーによる割当を設けないつもりだと表明しています。

 ただ、今年のノーベル賞のうち、自然科学系以外の平和賞と経済学賞は女性が受賞しました。
 ある意味「げた」をはいているかも知れません。
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