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2023年バックナンバー

雑記帳

朝鮮戦争

 朝鮮戦争とはどのような戦争たったのでしょうか。

昭和38年(1953)年7月27日に、38度線近辺の板門店にて、北朝鮮・中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は一時の終結ました。
 なお、調印者は、金日成朝鮮人民軍最高司令官、彭徳懐中国人民志願軍司令官、M.クラーク国際連合軍司令部総司令官です。
 李承晩大韓民国大統領は、この停戦協定を不服として調印式に参加していません。

 第二次世界大戦の敗戦国であるドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に分割統治され、ソ連占領地区にあるベルリンがさらに4カ国に分割統治されました。
 同じく第二次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、米国・英国・フランス・ソ連の信託統治を受けましたが、左右合作により、10年後に、永世中立国として独立することができています。
 第二次世界大戦の敗戦国である日本は、アメリカに統治されました。
 オーストリアと同じ第二次世界大戦の敗戦国である朝鮮(併合前・大韓帝国)については、昭和20(1945)年12月28日、モスクワ三国外相会議(アメリカ、イギリス、ソ連)により、5年の信託統治を行うことになりました。

「戦勝国」が「信託統治」されたり、分割占領したりされることはありません。
 朝鮮(併合前・大韓帝国)は、オーストリアとは異なり、信託統治の後、独立ができなかったことになります。
 国内がまとまっていれば、独立国家として信託統治から脱した可能性がなかったともいえません。もっとも、米ソの冷戦下で、国内がまとまるはずもなかったのかも知れません。

 昭和23(1948)年8月13日に、李承晩が、ソウルで大韓民国の成立を宣言し、金日成はこれに対抗し、昭和23(1948)年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を成立させました。
 この結果、北緯38度線は、占領国が引いた占領境界線ではなく、事実上当事国間の「国境」となったことになります。
 そして、昭和25(1950年6月25日)に朝鮮戦争が勃発し、昭和28(1953年)7月27日に休戦が成立したという経緯です。

 なお、当初の北緯38度線と、現在の韓国と北朝鮮との国境は、若干異なっています。
 日本は、朝鮮戦争の時、アメリカ占領下にありました。国連軍として朝鮮戦争に参戦していたアメリカ軍やイギリス軍の指示により、日本の海上保安庁の掃海部隊からなる「特別掃海隊」も派遣され、死傷者を出しながら国連軍の作戦遂行に貢献しています。
 他にも、仁川港の海底や潮流に詳しい日本人がアメリカに指示されて、物資を運搬していましたが、戦死者がいます。

 その昔、冷戦の結果、南北ベトナム、東西ドイツという分断国家がうまれました。
 統一できていないのは、韓国と北朝鮮だけですね。
 韓国国民、北朝鮮国民は、建前は別として、本当に統一を希望しているのでしょうか。
 また、アメリカ、ロシア、中国などの軍事強国としては、北朝鮮の核を除き、「緩衝地帯」としての存続を希望するなら、「南北分断」の現状は悪くないのかも知れません。
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