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司法 バックナンバー 2/3

嘘と記憶力

ピエール・コルネイユ(Pierre Corneille。17世紀フランスの劇作家)の迷言に「嘘をついた途端に、良い記憶力が必要になる」(劇「断片」より)というのがあるそうです。ピエール・コルネイユは100フラン札にえかがかれたこともある有名な劇作家です。

 もちろん、嘘をつくこと自体は犯罪ではありません。
 嘘をついて財物を騙取する(騙しとる)と詐欺罪になりますし、その他、刑法あるいは各特別法に犯罪となる嘘は限定列挙されています。

 ある程度のお世辞も、厳密に言うと「嘘」ということになるのでしょうが、社会生活の潤滑油です。思ったとおり正直にいっていたのでは、円満な社会は成り立ちません。
 子供は全て「かわいい」ですし、大人は美男美女ぞろい、高齢者は全て若く見え、医師・弁護士は全て腕がいい-ということにしないと、円滑な社会が営めません。

 「嘘をついた途端に、良い記憶力が必要になる」というのは間違いありません。
 嘘は「本当の自分ではない」という理由で、記憶から消え去りやすいものです。
 本当のことならば何年経っても「真実」に基づいて話をしている分、思い出しやすいのですが、「嘘」となると事実とは異なるために、時間が経つとだんだん忘れてしまいます。

 嘘をついて、あちらこちらで違うことをいうと、嘘がばれます。
 ですから、嘘をつくなら、すべて同一の嘘を、つき続けないといけなくなります。
 記憶力がいくらあってもたりません。
 嘘がばれても構わないという人は別ですが・・・

 ですから、私は基本的に、嘘をつくのは最小限度にしています。
 基本的に、私には、だれにどんな嘘を言ったか一々記憶しているだけの能力もありません。
 「他人のほめすぎ」「嘘も方便」で許されるくらいのことなら別ですが・・


 訴訟でも、「嘘」はすすめません。
 相手も弁護士ですから、当方の「嘘」の矛盾点をつくということくらいは簡単でしょう。
 もちろん、経験不足の若い弁護士さん、ある程度老齢となって処理自体が困難になっている弁護士さんなら別ですが・・

 ただ客観的証拠のないような「言った」「言わない」程度の水掛け論なら、「言ったも知れない」「言わなかったかも知れない」程度なら、自分の有利な方に、「言った」「言わない」と断言して、その主張で首尾一貫しておくと言うことは同然です。
 他の証拠と矛盾しない事実に限られることは当然です。

 弁護士の事情聴取能力にもよるのですが、主張を「ころころ」かえるのは非常に損です。
 つまり、前に主張したことか、後で訂正したことか、どちらかが必ず「嘘」であるということになるからです。また、どちらが本当にせよ、記憶があいまいで頼りないとされてしまうからです。
 訂正が全くないというのが理想ですが、訂正は最小限度、「些末」な点に限るのが正解です。

 また、相手弁護士の格好の「えじき」になります。
 裁判官の心証も非常に悪くなります。

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