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2013年バックナンバー

アルジェリア

平成25年1月16日、北アフリカのアルジェリア南東部の都市イナメナスで、プラント建設大手「日揮」の日本人駐在員らがイスラム武装勢力に拘束されました。

 アルジェリア軍が、平成25年1月17日、戦闘ヘリや地上部隊を投入して、人質「救出作戦」を開始したと報道されました。

 「救出作戦」と「名ばかり」で、「テロリスト殲滅作戦」「プラント防御作戦」といった方がいいと思います。
 もっとも、アルジェリア政府は、自分の国内にテロリスト集団がいて、それを制圧できないわけですから、反政府主義テロリストグループに「身代金」を支払って(それぞれの国籍の人ごとに当該国から)、自分の政府を転覆させられてはかないませんから、「テロリスト殲滅作戦」「プラント防御作戦」をとらざるをえません。

 先進国の観点から見てしまうのは、必ずしも正しくないようです。


 何か事件があると、その地理に詳しくなりますね。

 アルジェリアと聞いて浮かぶ唄は、カスバの女(「カスバ」は城塞という意味)ですね。

 人気者だった踊り子(「赤い風車」=ムーランルージュ)が落ちぶれて、当時、地の果てといわれていたアルジェリアまで流れてきて、アルジェのカスバの酒場で外人部隊の兵士相手に身をひさぐ身になっているというものです

 「ここは地の果て アルジェリヤ どうせカスバの 夜に咲く」

 3番に「明日はチェニスか モロッコか」という歌詞が続きますね。

 

 話はかわって、平成24年12月20日、フランスの植民地支配から独立して50年の北アフリカのアルジェリアを、フランスのオランド大統領が公式訪問しました。

 注目されたのは「植民地支配をめぐる歴史認識」ですが、大統領として初めて一歩踏み込んで発言しました。アルジェリアの上下両院の議員を前にした演説の中で、オランド大統領は「132年間、アルジェリアの人々は不当で粗暴な制度のもとに置かれた。その制度とは植民地支配のことだ。私は植民地支配がアルジェリアの人々に苦痛を与えたことを認める」と発言しました。
 謝罪はありません。


 植民地支配(1830年から1962年)と、独立を阻止するため、フランスが行った厳しい弾圧(1954年から1962年)を今も忘れないアルジェリアの人々が、フランスからの正式な謝罪を求める声には根強いものがあります。

 フランスの市民にも、「フランスが植民地支配の罪を認めることは重要です」という人もいれば、「アルジェリア人の良い暮らしは、フランスの教育のおかげなんだ」という人もいます。

 訪問前のフランス人の世論調査でも「謝罪すべき」と答えた人はわずか13%で、謝罪すべきでないとする人は35%でした。
 また「フランスが謝罪するというならアルジェリア側も謝罪すべき」と答えた人が26%いました。

 基本的に、植民地支配のグローバルスタンダードは、その程度です。

 「フランス」を「日本」に、「アルジェリア」を「韓国」や「台湾」に、そのまま置き換えるのは、少し無理かも知れません。

 「フランス」と「アルジェリア」の文化文明の差と、「日本」と「韓国」や「台湾」の文化文明の差を比べれば、若干、前者が後者を上回るでしょう。
 また、フランスが「戦勝国」だったという事情も考えなければなりません。
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