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よもやま話 バックナンバー2/2

いわゆる衆愚政治

「衆愚政治」という言葉があります。

民主主義においては、選挙権を持つ人は、およそ、自分のレベル以上の指導者を選べないということをいいます。

 知的訓練を十分受けていない人たちが意思決定に参加し、知的訓練を十分受けた人と同じ価値の1票をもちますと、迎合的、扇動者的な人の詭弁を見抜けず、誤った意思決定を行ったりしがちとなり、結局、正しくない選択をするようになります。
 しかし「1人1票」という制度が「民主主義」の根本ですから、どうしても、そのような結果になりがちです。民主主義の宿命のようなものです。

 「衆愚政治」は国政レベル、地方公共団体レベルを問いません。

 なお、国政、地方政治だけではありません。どのような団体の意思決定においても、団体構成員が、水増し的に増加すれば、知的訓練を十分受けていない構成員が、知的訓練を受けている構成員と同等の1票を持ち、意思決定に参加するため、迎合的な人の詭弁を見抜けないことにより、誤った意思決定を行ったりする傾向にあります。

 ただ、どのようなレベルの人であれ「1人1票」という制度が「民主主義」の根本ですから、その弊害は、独裁者の専横を許すという制度に比べて「幾分まし」として甘受すべきであることはいうまでもありません。

 結果的には、自分で自分の首を絞めていることもあるのですが、そのことさえ気付かないという人が多数ということになると、国、地方公共団体、各種団体の将来は明るくないでしょう。

 今、アメリカでは予備選挙が実施されています。共和党は決定、民主党は、ロングランとなりそうです。
 この時代に「代議員」を選び、「代議員」が大統領を選ぶという制度は、交通・通信手段の未発達という事情もあったのでしょうが、国民各個ではなく、知的訓練を受けている代議員に選ばせておけば、いくら低レベルの選挙民がいるからといって、低レベルの大統領を選ぶ危険を避けるという歴史的事情もあるようです。

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