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よもやま話 バックナンバー2/2

私のご先祖さん-血は争えません

私の父親・母親・妹、おじ・おば・いとこなどを見ると、自営(商売人)をしているのは、私が弁護士をしているのと、いとこの一人が、小売りの商売人の妻になって手伝っているくらいです。

 父方のご先祖さんは、基本的に、ほとんど百姓です。
 田・畑・屋敷は、先祖伝来の自分のものですが、他人様(ひとさま)に貸すような土地は、最初からありません。

 母方の父、そのご先祖さんは広島県の士族で、役人、学校の先生ばかりと聞いています。祖父の仕事は引退していたので知りません。。
 母方の母は大阪出身ですが、商家に生まれたわけでもありません。

 いずれにせよ、商売とは縁がありません。

 なお、父は、大正13年生まれで、一時百姓をしていましたが、太平洋戦争が勃発したときに、召集令状が来るのが嫌だと、「宇都宮高等農林」(現・宇都宮大学)に入学して召集令状を逃れ、戦況が厳しくなり、学生にも召集令状が来るようになったので、「前橋陸軍予備士官学校」に入学して召集令状を逃れ、外地には行かない「砲兵」を選択して研修し、原爆が落ちたあと、和歌山市の高射砲陣地の見習士官で赴任しました。爆撃機B29は、高射砲の届かない上空を飛んでいましたので、高射砲発射の命令を出さない(中隊長・事務取扱でした)まま終戦を迎えました。
 全くの合法で「韓流スター」のような不正はありません。「命がけの試験」を経験したいっていました。反戦主義者ではありませんが、たとえ戦前といえども、国家の利益が個人の利益に優先するという宣伝に簡単にのるような愚かな人は本当にいたのでしょうか。個人あっての国家ですよね。

 それ以降、食糧事務所を経て和歌山県に就職し、農林部長を最後に退職しています。そういうば、経済部次長時台に、オフレコのはずの「商売人は嫌いや」の発言がリークされるという舌禍事件を起こしていますが、すぐに農林部次長に横滑りし、農林部長に昇進し、早期退職しています。和歌山県農業信用基金協会専務理事に天下りするというのは「規模は小さい」ですが、方法は、早期退職と引替えに天下りと、国家レベルと同じです。

 母は、大阪市に生まれ育ちましたが、疎開のため和歌山市に疎開し、そのまま和歌山市に居着くことになりました。当時の女性の短大卒は珍しく、和歌山家庭裁判所の第1号の「男性と同じ仕事をする」「女性事務官」でした。戦前の「まかない婦」とは全くちがいます。
私を産んでから、専業主婦になるために産休開けに退職しました。失業手当ももらっているようです。

 妹は関西電力和歌山営業所のOL(結婚して退職)です。夫(私の義弟)も和歌山県庁職員です。

 父方の叔父は、父に代わって、百姓をしています。
 母方のおじ・おばは、大阪市役所職員2名、電電公社1名、神戸銀行1名(太陽銀行と合併で、旧太陽銀行の支店勤務、三井銀行との合併で、旧三井銀行の支店勤務)最後は、堺市の支店長までつとめました。一方通行の出向先で、今も働いています。

 いとこのすべての仕事を知っているわけではありませんが、知っている限り、百姓をついでいるいとこ1人を除けば、男性は、ほとんど大企業のサラリーマンや公務員、専業主婦がほとんどで、商売人に嫁いだのは1人で、他はサラリーマンに嫁いでいます。

 私は、人員を増やして事務所を大きくするという「勝負」にでなかったのですが、これは、ご先祖さんは、失敗した場合、ランクの落ちる「小作農」(身分という面もありました)に転落する危険があり、先祖代々「ご先祖さんのためにも」絶対「失敗」してはならないというDNAが、私にも刷り込まれているからかも知りません。
 「危険を冒さない」「失敗しない」が、親族一同の考えのようです。

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