本文へ移動

よもやま話 バックナンバー2/2

逃げ水

 

「逃げ水」という言葉があります。

  蜃気楼(しんきろう)の一種で「草原などで遠くに水があるように見え、近づくと逃げてしまう幻の水」あるいは「強い日差しで、鋪装道路の前方に水たまりがあるようで、近づくとまた遠のいて見える現象」のことだそうです。

 よく「逃げ水」という言葉が使われるのが年金です。

 昭和60年以降になされた「年金制度改正」をみましょう。

 まず、「昭和60年改正」では初めて年金給付水準が引き下げられました。
 昭和48年に、年金制度の拡充が行われてから、厚生年金・共済年金などの年金は給付引上げに奔走し、現役世代の平均賃金の8割相当という驚くべき給付を受けられるまでになりました。
 しかし、「年金引上げ合戦」の結果、共済年金のひとつである国鉄共済が破たんの危機に直面するなど年金財政は大幅に悪化しました。

 年金給付水準は「平成11年改正」でもさらに引き下げられています。

 極めつけは「平成6年改正」で、年金の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引き上げられることが決定されました。

 逆に、保険料負担は増え続けました。

 最初は「平成元年改正」における学生への国民年金強制加入でしょう。

 年金制度は20歳になったら加入することになっていましたが、収入が殆どない学生についてはそれまで任意加入でした。それを強制加入とした表向きの理由としては「未加入の学生が障害状態になったとき、障害年金が受け取れない」というものでした。
 ですが、この時点で収入の少ない学生からも保険料を徴収しなければならないほど、年金財政は悪化していたのです。

 負担増はサラリーマンをも直撃することになります。
 「平成11年改正」で決定された、保険料の「総報酬制」です。
 それまでの厚生年金保険料は、月収をもとに保険料を算出し、ボーナスからは「特別保険料」というわずかな保険料しか徴収していませんでした。それを月収とボーナスに対して保険料を徴収する制度に改めたわけです。ボーナスを含めた報酬総額に比例して保険料を徴収することになるので、これを「総報酬制」というわけです。
 これで、会社による給与とボーナスの調整は不能になりました。

 しかし、これたけ改正、とりわけ受給者、保健支払者に対する負担増が重なると、年金は信頼されなくなります。
 少子高齢化から、ますます悪化していくでしょう。

 私の生まれた昭和30年は、当初は、支払いより受給が多い「得する世代」だったのです。しかし、いつの間にか「どちらかというと損をする世代」に入れられてしまいました。

 まさに「逃げ水」ですね。

TOPへ戻る