2011年バックナンバー
法律家の本音は?
今年(平成20年)の日弁連の会長選挙の時に、政策が争点になったのは、記憶に新しいと思います。
弁護士が増員に強く反対するのは、基本的に自分の収入の低下が理由だと思います。
「弁護士の質が落ちる」「公益活動がおろそかになる」「新人弁護士が就職難になる」「一生に一度弁護士に依頼する市民が、程度の低い弁護士に依頼する確率が増え、被害をこうむる確率が格段に高くなる」というのは、結論からすれば、すべて正しいです。
しかし、これだけの理由で、多くの弁護士が、急激な弁護士増員に反対するとは思えません。
弁護士が増えたからといって、全体の事件の数が増えるわけではありませんから、弁護士1人あたりの事件数が減ります。
また、経営の苦しい弁護士が「ダンピング」をして、弁護士報酬相場を引下げる可能性がありますから、1件あたりの報酬額も減ります。つまりダブルで損害を受けます。
本来弁護士になりえなかった人が弁護士になるのですから、弁護士の質が落ちます。
また、弁護士業界が「構造不況産業」ということになると、優秀な人が来なくなりますから、社会的地位が低下し、弁護士は、従前得ていた名声や尊敬が得られなくなります。
今、弁護士になっている人は、自分が既に得ている収入が少なくなり、また、自分が得ている弁護士の社会的地位や名声が落ちるのですから、急激な増員に反対するのは当たり前です。
ただ、それをストレートにいうと、反発を食らいますから、「弁護士の質が落ちる」「公益活動がおろそかになる」「新人弁護士が就職難になる」「一生に一度弁護士に依頼する市民が、程度の低い弁護士に依頼する確率が増え、被害をこうむる確率が格段に高くなる」と、「自分たちの利益のためではないよ」「世の中のためだよ」という側面のみを言っているのでしょう。
特に、将来が長く、経営基盤がかたまっておらず、住宅ローンが残り、子育ても残っているなど、お金がいくらあっても足りないという比較的若い弁護士に、増員論反対の声が大きいのは当然のことです。
法律家以外の一般の方は「そんなこと知っちゃいない。弁護士報酬の低下はありがたい」と単純に言われる方もおられるかも知れません。
また、自分は弁護士に関係がない。弁護士が高収入をとれなくなって「ざまあみろ」という嫉妬心から喜ぶ人がいるかも知れません。
マスコミ関係の人に、後者の考えをする人が多いように思います。マスコミ関係の人が、本当にそう思っているかどうかは別として(本当にそうだとすると、かなり勉強不足ですが・・)、「強者と思われるものを徹底的にたたく」という論調にしておけば、一般世間受けして、部数がのび、視聴率も高くなるでしょう。
政治家がたたかれ、上級職国家公務員がたたかれ、医師がたたかれているのと同じ構図です。
ただ、マスコミも「弁護士が高収入をとれなくなってざまあみろ」とあからさまに書くわけにはいきませんから、「日本の弁護士は先進諸国に比べ少ない」「司法過疎の解消」「裁判員制度、被疑者弁護、刑事裁判での被害者の代理人、少年の国選付添人など新しい制度の導入る弁護士の必要性」「競争原理による自然淘汰がなされるべき」ともっともらしく言っているのでしょう。
司法の担い手は、言うまでもなく、裁判官、検察官、弁護士の法曹三者です。
弁護士が「過度の増員反対」という意見であるということははっきりしています。
また、法務省は、はっきり「過度の増員反対」を示しています。増員になれば、もうこれ以上、司法修習生の面倒をみてるわけにはいかないという危機感もあるでしょう。実務においても、被告人に「毛の生えた」程度の質の悪い弁護士が、弁護人となり、刑事裁判を引っかき回されたくないでしょう。
おそらく、裁判所は、何も言わないだけで急激な増員に反対の意見でしょう。司法研修所の収容人数も限られていますし、司法試験の最終試験で何十人も落第させるということが、法曹たるに値しない人間が、司法試験を合格してきていると苦々しく思っている端的な証拠でしょう。法務省と同じく、実務においても、当事者本人に「毛の生えた」程度の質の悪い弁護士に、民事・刑事裁判を引っかき回されたくないでしょう。
法曹三者が、過度の増員に反対ということなら、結論はそれで正しいのではないでしょうか。
特に、裁判官・検察官は、自分の収入は国家公務員として安定していますから、弁護士と異なり、自分の収入如何というバイアスがなく、純粋な気持ちで、将来のあるべき司法を考えていると思います。
もっとも「つまらない」仕事が増えるのは嫌だという気持ちはあるでしょうが、裁判官・検察官が「つまらない仕事」と考えるというのは、本当に「社会にとって役にたたない仕事」の気がします。
私の意見は、本ホームページ公開(平成19年6月1日)前に「雑記帳」に記載した 「弁護士大増員時代」 というコラムのとおりです。この点を強調する弁護士さんが増えてきています。
私の結論は、自分自身の将来の収入の多寡というバイアスはかかっているでしょうが(幸か不幸か、過度の増員が「死活問題である」というほど「若く」はありませんが・・)、過度の増員は「一生に一度、弁護士に依頼するかどうか分からない一般の方が「はずれ」を引いてしまう可能性、つまり、「仕事はできない」「報酬は高い」「無茶なことをする」という弁護士に依頼せざるを得なくなるので、社会全体にとって、むしろマイナスである」というものです。
なお、弁護士の大幅増員が、過疎化対策になるかどうかについて、また、刑事事件の充実のために弁護士の大幅増員が必要かの論点について、補足のコラムを書いておきました。
ただ、 本当に気の毒なのは、社会人の地位を捨てて、法科大学院にいった人でしょう。「増員」うんぬんにかかわらず、相当数が、法曹にすらなれません。
一部の優秀な人を除いて、法曹になれたとしても、就職先も、ろくな仕事もありません。