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司法 バックナンバー 3/3

裁判所と不労所得

日本の裁判官は、最高裁判所の裁判官から、地方・家庭・簡易裁判所の裁判官に至るまで、「不労所得」は大嫌いという考えの方が多いと思います。

 日本人は、狩猟民族では農耕民族ですから、土地を耕し、種をまき、肥料を与え・害虫を除去を除去し、成長したところで収穫し、日々の生活の糧とする、つまり、「額に汗して働いた者が収穫を得る」のが当然で、単に「金がある」「土地がある」というだけで、額に汗して働きもせず、巨額の収入を得るということは、ある意味で「本能的に」嫌いでしょう。
 明治維新の前には「武士がいた」という方もおられる方も多いと思いますが、圧倒的少数派ですし、やはり、武士は、各藩行政・司法や、治安を守る警察官の仕事をしていたわけですから、全くの不労所得ではありません。それほど武士階級が裕福であれば、商人から金を借りて身動きが取れなくなるということもないでしょう。

 なお、裁判官は、基本的に「勤労所得者」であり「不労所得者」でないことはもちろんです。


 一連の過払金返還請求の判例を見ると、「不労所得は許さない」という強い意思の現れが見て取れます。
 改正前の貸金業法は、立法にあたった国会としては、一定の要件を満たしていれば、利息制限法をこえた利息は合法的に取得できるということを内容とする法律を作成したことは明らかですが、金銭消費貸借契約書に「過怠約款」があるから、「任意性」がなく「利息制限法をこえた利息を取れない」という、究極の「裏技」(ただ、立法当初から、このような意見は、もちろんありました)を使って、被害者救済をしました。
 最高裁が、簡易裁判所(1審)管轄で、地方裁判所(2審)、高等裁判所が上告審(3審)としてなした事件の特別上告(4審)を受理してまで、高等裁判所の裁判を覆したことについては「執念」がみてとれます。


 また、ブルドックソース事件で見られるように、やはり、巨額の金を利用して、巨利を得ようとしたアメリカの投資ファンドスティール・パートナーズに対し、裁判所は、地方裁判所・高等裁判所・最高裁判所とも不利な裁判をしましたね。
 他の国なら、こうはなっていなかったかも知れません。
 やはり「不労所得」は許さないという考えが基本にあるでしょう。
 厳密にいって、株を買い占めれば「濡れ手であわ」でもうかる会社について、リサーチするという努力はしていますが、大した労働量ではありません。

 よく考えてみれば、現在の先進国で、狩猟民族ではなく、農耕民族という日本は珍しいのかも知れません。

 もちろん、裁判所がこのような判決をしていると、お金についてはますますボーダレスな世界になっても、海外の資本が日本を回避して、他の国に逃げるから、株価は上がらないし、景気もよくならず、日本は「取り残される」という意見もあります。

 ただ、国土も狭く天然資源に恵まれていない日本が、一生懸命働き、自動車など工業製品輸出などによって汗水垂らして稼いだ財産を、単に「金を持っている」というだけで、汗水垂らして働いていない、日本人・日本資本や外国人・外国資本が持ち逃げすることを許すというのは、日本人のメンタリティーにあわないでしょう。
 裁判所の感覚は、日本人一般の感覚にあったものだと思います。 基本的に、働きもせず持ち逃げした方の利得した分は、汗水垂らして働いた方の損となるわけですから「許せない」ということになります。
 ちなみに、ゴルフ、サッカー、野球選手などが巨額の収入を得ていますが、基本的に、本人の才能努力によるものですし、損をしている人がいるわけではありません。


 海外の資本が日本を回避して、他の国に逃げるから、株価は上がらないし、景気もよくならず、日本は「取り残される」という意見は、一見もっともなように見えますが、「金は汗水垂らして働かないと得られるべきではない」という日本人の感情にあっていませんし、日本人の勤労意欲をそぎ落として、かえって悪い方向に進む可能性さえあるでしょう。

 いくら、各国が全世界的に動くということになっても、伝統に培われた基本的な国民気質はかわらず、裁判官は、その国民気質に沿った判決をするというのが、民主主義国家として当然のように思います。

 裁判所には違憲立法審査権があり、憲法は抽象的な文章が多いですから、国会が、基本的な国民気質に合わない法律をつくったら、違憲の判断をするでしょうし、違憲判断をしないまでも、極限まで、国民気質に合った判決をするでしょう。


 最高裁判所の出資法関係の一連の判決に、国民的な異論があったでしょうか。
 当事者サイドは別として、特に反対はありませんでしたし、それに基づいて金融庁のガイドラインが改められ、貸金業法までが改正されました。
 また、ブルドックソース対スティール・パートナーズの一連の判決に(スティール・パートナーズは、それでもなお巨額の利益を得ています)、国民的な異論があったでしょうか。

 批判をするのは全く自由ですが、民主国家において、国民感情から離れた裁判は続かないものです。
 日本も例外ではありません。

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