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トリビア バックナンバー 2/2

飛び地

 ロシアは、平成20年11月、米国によるミサイル防衛(MD)施設の東欧配備に対抗するため、ポーランドに隣接するバルト海沿岸の飛び地カリーニングラード州に新型ミサイルを配備することを明らかにしました。また、米国のMD施設をかく乱するための妨害電波装置を配備すると発表しました。
 米国によるミサイル防衛(MD)施設の東欧配備の牽制のためのブラフ(はったり)であるという説もあります。民主党政権になれば、MD施設の東欧配備はしないだろう、という読みです。

 バルト海沿岸で、ポーランドとロシアは隣接していたでしょうか。
 バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)が中にはいっていますから「飛び地」ということになります。

 現在カリーニングラード(Калининград)と呼ばれているケーニヒスベルク(Koenigsberg。「ケーニヒスベルクの橋渡りの問題」で有名です)を含む東プロイセン地方は、1225年にドイツ騎士団によって建設されたドイツ系の領土で、その後、プロイセン公国となり、そのころからポーランドをはさんだ飛び地でした。
 ドイツ帝国が形成され、ソ連、ドイツ、オーストリアによってポーランドが分割されると、プロイセン公国はドイツ帝国の飛び地ではなくなりました。

 第一次世界大戦後、旧ドイツ帝国の東部領土について、ポーランド北部のバルト海に面した地域にあたる旧プロイセン公国の領域のうち、国際連盟下の自由都市として残されたダンツィヒDanzig。現・グダニスク=Gdansk)を除いた、「西プロイセン」は、ポーランドの海への出口としてポーランドに割譲されたため、ケーニヒスベルクを州都とする「東プロイセン」は、ドイツ本国との陸上路が閉ざされ、孤立した飛び地となりました。

 その後、ヒトラー率いるドイツはポーランドに侵攻し、これにより第二次世界大戦が始まりましたが、東プロイセンは再びドイツ本土と陸路で結ばれることになりました。

 東プロイセンは、第二次世界大戦戦、南北に分割され、自由都市ダンツィヒDanzig・グダニスク・Gdanskはポーランド領に、ケーニヒスベルクを州都とする北部はソ連のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に編入されました。ソ連領となった区域を、ソ連のロシア共和国領のカリーニングラード州と呼ばれるようになりました。ケーニヒスベルクはカリーニングラードに名前が変わり、カリーニングラード州の州都となりました。

 バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)は、第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書によって1940年にソビエト連邦に併合されていましたから、カリーニングラード州は、ソ連という点からは飛び地ではなくなり、ソ連のロシア共和国という点からすると飛び地となりました。

 1990年8月20日、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はソ連から独立し、まもなくソ連も崩壊しました。
 そうなると、カリーニングラード州は、完全にロシア共和国の飛び地となりました。
 カリーニングラード州は、ポーランドとバルト三国(接しているのはラトビア)にはさまれた、完全な飛び地です。

 そして、ロシアは、このカリーニングラード州に新型ミサイルと、米国のMD施設をかく乱するための妨害電波装置を設置するという発表になったわけです。
 

 ややこしいですね。
 これほど、歴史に翻弄され、飛び地になったり飛び地ではなくなったりした地域も珍しいと思います。

 現在、ドイツの面積は、日本にも及ばないほど小さくなりました。
 東プロイセンだけではなく、東側をずいぶんポーランドに割譲させられましたから。

ちなみに、前共和党副大統領候補が知事を務めるアラスカ州は、カナダをはさんだアメリカ合衆国の飛地なんですよね。あまりに大きすぎて、飛び地という感じはしませんが・・

 ところで、あちらこちらの外国に行きあきた人に人気があるのが、バルト三国とアラスカだそうです。
 もちろん、カリーニングラードは日本人旅行者のいくところではありません。

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