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外国事情 バックナンバー2/2

ベルリンの壁

平成元年(1989年)に崩壊した「ベルリンの壁」の目的は「東ドイツの人を西ベルリンに入れない」ということにありました。

 西ベルリンは、東ドイツ内の陸の孤島でした。
 主に、東側は東ベルリンと接していましたが、北、南、西はベルリン以外の他の東ドイツ領でした。

 東ドイツ人を西ベルリンに入れないための「ベルリンの壁」は、東西ベルリンを隔てる約43Kmあったコンクリート製の壁と、西ベルリンと、東ベルリン以外の東ドイツとを隔てる112Kmあった鉄条網、合計155Kmありました。
 東ベルリンから西ベルリンへの逃亡を防ぐだけでは意味はなく、東ベルリン以外の東ドイツ(つまり、西ベルリンの北、南、西)から西ベルリンへの逃亡を防ぐ必要がありました。

 112Kmの鉄条網だけで十分だったでしょうか。
 そうではありません。
 要所要所に監視塔があり、東ドイツ兵が銃を撃てるようになっていましたし、監視塔がないところでも、Mordautomaten(「Mord」 は殺人、「Automaten」はいわゆる「自動販売機」と訳されることが多い単語です。鉄条網を超えようとする人を、自動的に射殺する機械です。もちろん、銃弾は「無料」です)が備付けられていて、鉄条網を超えようとする人を射殺する仕組みになっていました。


 結構、西ベルリンに逃亡しようとして、殺された人もいました。

 ちなみに、「東ドイツの人を西ベルリンに入れない」ということですが、これは主として、東ドイツ人の労働力確保が理由ですから(北朝鮮は、北朝鮮の「実情」を知られたくないために海外渡航を禁止していますから、年齢とは関係なく禁止です)、労働力と見なされず、単に食いつぶすだけと東ドイツ政府が考えた年金生活者は、西ベルリンの訪問は許されていました。帰ってこなくても構わない、帰ってこなければ逆にめっけものとされ、西ベルリンは、ある意味「姥捨山」扱いだったのですね。

 ちなみに、何歳から、「厄介者」として、西ベルリンを訪問できたと思いますか。
 東ドイツの男性は65歳、女性は60歳以上でした。
もちろん、学者・軍人などは別です。単純な「労働者階級」は男性は65歳、女性は60歳をまてば、西ベルリンに何の危険もなく入れたのです。
 社会主義国というと、国民を酷使するだけ酷使するというイメージがありますが、そうでもなかったようです。

 また、さすがドイツ人、やることが「合理的」です。

 日本で、男性は65歳、女性は60歳以上は「厄介者」で、「姥捨山」へ行ってもいいよと「露骨に」言われると、反発が大きいでしょうね。

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