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外国事情 バックナンバー2/2

南チロル

ある会合の後の食事で、イタリアレストランに行く機会がありました。

 イタリアワインしか置いていないはずです。
 ただ、白ワインのボトルを見ると、ドイツ語が書かれています。
 ラベルに、日本語で「イタリア産」と張ってあります。

 長く、戦争を含む、複雑なヨーロッパの歴史の中で形成された多言語国家や、言語的少数民族を抱える国のケースは数多くありますが、「イタリアにドイツ語圏がある」というのは案外知られていないのではないでしょうか。
 それに比べ、日本でもおなじみ「最後の授業の」のアルザス・ロレーヌ(ドイツ語で、エルザス・ロートリンゲン)などは有名です。

「南チロル」 というページをご覧下さい。

 イタリア北東端のトレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ自治県、ドイツ語では「南チロル」と呼ばれているこの地域は、第一次大戦の敗戦国オーストリアが、イタリアに割譲させられた地域で、もともとハプスブルグ帝国のチロル伯領の一部であり、ドイツ語系住民が多数を占めています。

 このため、かつてはその帰属をめぐってオーストリアとイタリアが対立し、ムソリーニの元で強硬なイタリア化政策が進められドイツ系住民は少数民族となって迫害されたりしたのですが、第二次世界大戦中、ヒトラーは同盟国イタリアに遠慮してなのか、ドイツ(ドイツとオーストリアは同一国になっていました)に組み込みませんでした。
 それ以降も、南チロルでも、血なまぐさい紛争を含む自治権獲得運動やこれにともなうテロ活動が展開されてきました。
 ただ、現在の南チロルは、一定の自治やドイツ語とイタリア語の同格化が実現したこと、ともにEUの加盟国・シェンゲン条約加盟国で、行き来が完全に自由ですから、情勢は小康を保っています。

 なお、ウィーンなどオーストリアの各都市には南チロル広場(Suedtirolerplatz)という地名がみられます。南チロルを追われた、南チロル難民が多く住んだ地域、また「南チロルを忘れるな」という意味をが込められているともいわれます。


 チロル全体の中心、オーストリアのインスブルック(こぢんまりとした、いい街です。冬季オリンピックも開催されいます)から、自動車ですぐの位置にあり、州都はボーツェン(Bozen 。イタリア語でボルツァーノBolzano)で、イタリア語が多いのは首都くらい、後は、ドイツ語が完全に優勢です。


 ほぼ、単一民族、単一国家、単一言語の日本では信じられないことでしょう。
 なお、イタリア領内の、Suedtirolのワインは、白ばかりで赤はありませんでした。
 ちなみに、ドイツ・オートリアのワインでおいしいのは白です。ドイツ人は、赤ワインが飲みたければ、フランス産のワインを買って飲みます。

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